bunchinnの自由帳

自由に記録するブログです。

うつと無縁の人生と思っていた (part.2)

 こんにちは、bunchinnです。現在、うつ状態の療養&休職中です。

 本記事では、うつになった経緯を記載したいと思います。自分の中で考えをまとめ、文章化することで自分を見つめ直し、今後良い人生を送ることに活かしたいと思っています。鬱に陥った人の1経験談として、読んでいただけますと幸いです。身バレへの保険として、詳細は一部フェイクを織り交ぜています。

  ちなみに前回編のpart.1はこちらになります。

bunchinn.hatenablog.com

 

経緯

  • 22年x月 新規開発PJメンバーへアサイ
  • 22年x+1月 PJリーダーとして提携先への常駐決定
  • 22年x+2月 常駐先の開発環境を使用できないことが判明
  • 22年x+3月 PJ申請説明実施→申請承認取得
  • 22年y月〜23年z月 休日関係なく働き詰めの生活(月間平均:100時間over)
  • 23年a月 うつ状態の診断となり休職
  • 23年b月 試し勤務にて復職。しかし、症状が再燃。
  • 23年c月~現在 2度目の休職

 

今回は黒字部分について書いていきます。

 

詳細

-22年x月 新規開発PJメンバーへアサイ

 この新規開発PJ(Xプロジェクト)は、会社上層部の間で会社の更なる成長・収益源確保のため、特に開発を推し進めようとしている案件で、私がアサインされた時には、既にその開発に関するトップ機関とコネクションを構築していました。アサインされたときの私の仕事は、・強固なコネクション構築(提携契約を結ぶ) ・Xプロジェクトに関わる新規製品開発 でした。つまり、コネクションを活用し提携先のアドバイス・ノウハウ等を上手く取り込み、自社開発に反映することがミッションでした。社内に有識者はいないため、自ら情報を取りに行き(セミナー、文献など)、開発計画や目標を立てていました。その当時、この案件は非常に将来性のある開発になると考えており、非常に興味を持って取り組んでいたように思います。

 当時このような開発案件を3−4個掛け持ちしており、非常にハードだったことを記憶しています。案件を複数持っていたため、勉強は欠かせませんでした。分からないことや新しい情報をアップデートするため、勤務後や休日は暇があれば勉強をして知識を蓄えていました。ただ、ハードなりに自分の糧になっている実感がありとても充実した社会人生活を送っていたと思います。

 

-22年x+1月 PJ代表として提携先への常駐決定

 ある朝出勤すると、上司から肩たたきされ「ちょっと時間いいですか」と声をかけられ、別室へ来るよう促されました。何かまずいことをやらかしたかなと思いつつ、別室へ行きました。別室へ着くと、上司から神妙な面持ちで「開発PJ代表として、9月から提携先へ常駐して欲しい」と異動のお願いをされました。また、「開発PJ申請手続きの期限が一週間後のギリギリであるため、今ここで受けるどうか決めて欲しい」とお願いされました。その時は、会社上層部が力を入れようとしている案件なので、自分のキャリアアップに繋がる大きな仕事になると考えたので、その場で快諾しました。ただ快諾し部屋から出た後、本当この仕事をやり切ることはできるのかと、胸に何とも言えない不快感・不安感があったのを覚えています。勢いでやりますと言ったものの本当に大丈夫なのかと。ただ「仕事はできるかどうかじゃなく、やる」ということを心情にしていましたので、やり切るぞという心持ちではいました。

 そこから一週間は非常に慌ただしかったです。申請手続き書類を複数作成する必要があったのですが、これがなかなか書けない。(そもそも期限1週間しかないものを打診するの歯おかしい)担当になって2ヶ月しか経っていませんから、どういう目的で、その目的を達成するためにどういうモノを開発するのかという、絵を描くことができませんでした。休日返上でずっと考えていましたが、全く筆が進みませんでした。休日明けの出勤日の朝、上司へ申請書類が書けないと泣きついたのを覚えています。上司に手伝ってもらったお陰で何とか仕上がり、締切に間に合いました。

 プライベートでは、社員寮から新居へ引越しをする予定だったのですが、この話のおかげで引越しをキャンセルする羽目になりました。確か引越しの契約書に押印をした次の日に、この異動話が上がったように記憶しています。契約書にサインをしたあと、即解約手続きをするというイレギュラーなことをしたため、仲介業者に嫌な顔をされたことを記憶しています。引越しの荷造りなどもほぼ完了していましたし、引越し業者の手続き、電気ガス水道の開栓などの手続きの段取りも終わっている状態でした。この全てをキャンセルする必要がありましたので、かなりプライベートの方でも追い詰められていたなと思います。もちろん、そのまま引越しをして少しの期間だけ新居に住むという選択肢もありました。しかし、上記の申請書類を準備を絶対に完了させることを考慮すると、引越しと並行して進めるのは無理だなと判断し、新居への引越しを諦めました。1日も住むことはなかったのですが、契約上、新居の初期費用や家賃2ヶ月分など全て支払いました。今振り返ると、会社に費用請求するべき事案のように思いますが、その当時はいっぱいいっぱいで、お金よりも時間が惜しいという感じでしたので、会社に請求することはありませんでした。

 この期間、仕事にプライベートにかなり忙しい時期でしたので、焦燥感が非常に強くありました。食欲が全くわかず、上手く睡眠が取れませんでした。短期的にですが、うつ状態に落ちていたと思います。

↓この写真は入居日当日鍵の現地受け取りをしたときの写真です。友人に撮ってもらいました。8畳くらいの日当たりのいい部屋だったのですが、1日も住むことはできませんでした。

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-22年x+2月 常駐先の開発環境を使用できないことが判明

 何とか申請締切を提出し終わり、引越しもキャンセルし、ホッとできたのも束の間でした。常駐先へ訪問する機会があり、現場を視察しました。その際、先方の担当者より「本開発環境は御社に使用頂くことはできません」と一言。何じゃそりゃ。どうも別案件の秘密情報や契約の関係で、我々はその開発環境を使用できないとのこと。「その代わり、空室を用意したので、そこで環境を作ってください」と言い渡されました。私としては、常駐先のリソースをフル活用して仕事ができると思いこの話を受けたつもりでした。しかし、そうではなく、完全にゼロの状態から環境を作る必要があるということが分かりました。正直この段階で「リソースが使えないのであれば、私が先方で常駐する意味ないんじゃない?」と思いました。会社から常駐するのは私1人だけでしたので、自分1人で開発環境を完成仕終わらないと開発のスタートラインにも立てないことを実感し、心が非常にザワザワしたのを覚えています。(1人でやり切るという発想自体が間違いなのですが、、、)

 

焦燥感について

ここで話がそれますが、

 私が上記まで、あるいはこれから別記事で記載する、「焦燥感」や「ざわざわする」といった感覚について書きたいと思います。焦るという感情に、感じ方や程度の違いは人それぞれあると思るので、イメージしを共有しやすいように、どんな感じの焦るなのか具体例を示したいと思います。

 あなたは、親しくしている人とアルコールを飲みながら会話を楽しんだ後、気持ちよくほろ酔い気分で帰宅しました。帰宅した後、あなたは持ち歩いていた社給スマホがないことに気づきました。店におき忘れたか、落としてしまったようです。

 その時おそらく多くの人は、酔いが一気に覚めどこにスマホを置いたか必死に探す行動に出ると思います。その一気に冷めて“焦る“感覚が、私の感じていた「焦燥感」に近いです。(最近同様の出来事で、財布を落としてめちゃくちゃ焦りました(無事見つかりました。))。この具体例の“焦る“は、かなり強度の高い“焦る“感覚なのかなと思います。ただ、私が仕事の中で感じていた「焦燥感」はそのくらい強度の高いものでした。(もしかしたら、その程度の出来事では焦ったりしないという人もいると思いますが、、、)

 

続きは別の記事で書こうと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございます。