休職中の振り返り(12月ー3月)
こんにちは、bunchinnです。
約4ヶ月更新をサボっていました。ブログ書くの向いてないみたいですね。一方で毎日日記を書いており、その継続は成功しているのでよしとしましょう!笑。今回は日記を読んでこの更新をサボっていた4ヶ月を振り返ろうと思います。
気分点の推移
1日の自分の気分を0〜5点の0.5点刻みで、点数をつけています(0点:最悪→5点:最高)。月毎の気分点を平均し、グラフ化したものが添付の画像です。月毎に右肩上がりで推移しており、順調に気持ちのエネルギーが回復していますね!ゆっくり休んで元気になれてよかったです!特に、年明けの1月頃からは点数が4点を超えており、職場復帰するのに十分回復していると思います。
私のカウンセラーから、目安として点数が4点を超えたら職場復帰ができると言われております。
12月
プログラミングに興味があり、pythonを3年近くちょこちょこ勉強しています。その中でkaggleというプログラミングのコンペティションサイトの練習問題(タイタニック)を頑張って解いていました。
タイタニック号生存予測 | Kaggle
あとは、統計学にも興味があるので、統計検定準一級の資格勉強も並行してやっていました。ですので、日中は割と勉強してた月です。
ただメンタル面が安定しておらず、12月半ばに気分点が2ー3点台を推移する日が4-5日続いていました。出先で少し嫌なことがあり、それを契機に気分が落ち込んでいたようです。
逆に言うと、4-5日でメンタルを元気な状態に戻せていますので、それは成長でしたね。それに精神科の先生からは、「物事を違う角度から見れるようになっていて柔軟になっています」と言われ、治ってきてるんだなと実感した月でした。
1月
お正月は実家に帰省し、家族とゆっくり過ごしました。友人と会ってたわいもないことを話ししたり、エドシーランのライブへ行ったりしてとても楽しく充実した月でした。
日中は勉強、夕方は運動、夜はダラダラ好きなことをする というサイクルを作れるようになり、規則正しい生活を送っていました。
↑エドシーランのライブの時の写真
統計検定準一級の試験を受けたのですが、合格点に後2点足りず、、、かなり悔しかったです笑。
職場と面談をし、うつになった原因となった職場から異動となりました(よかった。)勤務地が変わるので、とりあえず引越しをして下さいとの事でしたので、引越しの準備をこの辺りから始めました。
また、この日を契機に、残りの休職期間はせっかくの休みやし、どこか出かけたりして遊ぶ事に費やそう!と思い、遊びまくる事にしました。(この時は3月から復職できるものと思っていました、、、泣)
2月
引越し準備で慌ただしいのと並行して、住んでいた土地の周りの観光地を巡る事にしました!二度と居住することはないはずの地域でしたので、毎日自転車に乗って行きたいところに行っていました。好きなことをしまくっていたので、気分は絶好調で4〜4.5点くらいで毎日楽しかったです。
その中で、インフルエンザに罹ってしまいました。観光客から菌を貰ったのかもしれません、、、一時は40℃まで体温が上がり非常にしんどかったです。一週間くらい寝たきりの状態になりました。この時は、流石に気分点が2点くらいまで落ち込みました。
インフルエンザが完治した後、引越しの荷造りなどをし始めたのですが、悪いことが立て続けに起きました。
休職前の業務上のミスの発覚、結婚の話をしていた彼女との別れ、、などなど。それと合わせて引越しを上手くしないといけないわけですから、結構メンタルがキツかったですね。ただ、なんとか乗り越えることができました笑。2月の山場だったなと思います。自分でメンタルの状態をモニタリングして回復に努めることができるなっていることが分かった出来事で、成長を感じました。
流石に悪いことが続きすぎているなと思ったので、神社でお祓いに行きました笑。ちょうど梅の見頃でしたので、綺麗に咲いている梅を見ることができました。晴天でしたので、気分も晴れ晴れしていました笑。
3月
引越しを無事に終え、職場復帰の準備を整えていたのですが、人事より4月復帰は難しいと言われてしまいました笑。どうも社内手続き上、間に合わないとのことでした。
一月から復帰の話をしてたのに、なんだその体たらくはと思いましたが、まあ、休みが伸びてラッキーと捉えて、ゆるゆると生活しています笑。多分5月には復帰できるんじゃないかなーと思います。
もう心身共に健康になりましたので、正直毎日暇で仕方ないのですが、運動や勉強したりしてゆっくりしています。笑。
最後のモラトリアムを満喫しています。
こうやって日記を読むと、漸く元気になったんだなって実感します。チリも積れば山となるというように、毎日の少しずつの積み上げがこの元気な状態に繋がってるんだなーと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ブログのヘッダーを作って大満足
こんばんは、bunchinnです。今日は一日中はてなブログの記事作成とカスタマイズに没頭していました。
いい感じのヘッダーを作ることができたので、めっちゃ満足です。
作り方はこちらのブログ記事様を参考にさせていただきました。
www.j-lifestyle.work
canvaというデザイン作成サイトで作ることができました。
https://www.canva.com/
ユーザー登録が必要ですが、基本無料です。恐らく+αの機能を使いたい場合、お金を支払いアップデートする仕組みなのかなと思います。デザイン作成のUIが非常にわかりやすく、操作説明など全く見ませんでしたが、上に添付したヘッダーをユーザー登録完了からおよそ3分くらいで作ることができました。めちゃくちゃ簡単でした。
この写真は去年京都の清水寺で撮影した写真です。空の青と紅葉の赤のコントラストが非常にキレイです。少しありきたりな感じのする写真ですがお気に入りです。
勢いではてなブログproにしてしまいましたし、使える機能は使っていきたいなと思っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました~。
うつと無縁の人生と思っていた (part.2)
こんにちは、bunchinnです。現在、うつ状態の療養&休職中です。
本記事では、うつになった経緯を記載したいと思います。自分の中で考えをまとめ、文章化することで自分を見つめ直し、今後良い人生を送ることに活かしたいと思っています。鬱に陥った人の1経験談として、読んでいただけますと幸いです。身バレへの保険として、詳細は一部フェイクを織り交ぜています。
ちなみに前回編のpart.1はこちらになります。
経緯
- 22年x月 新規開発PJメンバーへアサイン
- 22年x+1月 PJリーダーとして提携先への常駐決定
- 22年x+2月 常駐先の開発環境を使用できないことが判明
- 22年x+3月 PJ申請説明実施→申請承認取得
- 22年y月〜23年z月 休日関係なく働き詰めの生活(月間平均:100時間over)
- 23年a月 うつ状態の診断となり休職
- 23年b月 試し勤務にて復職。しかし、症状が再燃。
- 23年c月~現在 2度目の休職
今回は黒字部分について書いていきます。
詳細
-22年x月 新規開発PJメンバーへアサイン
この新規開発PJ(Xプロジェクト)は、会社上層部の間で会社の更なる成長・収益源確保のため、特に開発を推し進めようとしている案件で、私がアサインされた時には、既にその開発に関するトップ機関とコネクションを構築していました。アサインされたときの私の仕事は、・強固なコネクション構築(提携契約を結ぶ) ・Xプロジェクトに関わる新規製品開発 でした。つまり、コネクションを活用し提携先のアドバイス・ノウハウ等を上手く取り込み、自社開発に反映することがミッションでした。社内に有識者はいないため、自ら情報を取りに行き(セミナー、文献など)、開発計画や目標を立てていました。その当時、この案件は非常に将来性のある開発になると考えており、非常に興味を持って取り組んでいたように思います。
当時このような開発案件を3−4個掛け持ちしており、非常にハードだったことを記憶しています。案件を複数持っていたため、勉強は欠かせませんでした。分からないことや新しい情報をアップデートするため、勤務後や休日は暇があれば勉強をして知識を蓄えていました。ただ、ハードなりに自分の糧になっている実感がありとても充実した社会人生活を送っていたと思います。
-22年x+1月 PJ代表として提携先への常駐決定
ある朝出勤すると、上司から肩たたきされ「ちょっと時間いいですか」と声をかけられ、別室へ来るよう促されました。何かまずいことをやらかしたかなと思いつつ、別室へ行きました。別室へ着くと、上司から神妙な面持ちで「開発PJ代表として、9月から提携先へ常駐して欲しい」と異動のお願いをされました。また、「開発PJ申請手続きの期限が一週間後のギリギリであるため、今ここで受けるどうか決めて欲しい」とお願いされました。その時は、会社上層部が力を入れようとしている案件なので、自分のキャリアアップに繋がる大きな仕事になると考えたので、その場で快諾しました。ただ快諾し部屋から出た後、本当にこの仕事をやり切ることはできるのかと、胸に何とも言えない不快感・不安感があったのを覚えています。勢いでやりますと言ったものの本当に大丈夫なのかと。ただ「仕事はできるかどうかじゃなく、やる」ということを心情にしていましたので、やり切るぞという心持ちではいました。
そこから一週間は非常に慌ただしかったです。申請手続き書類を複数作成する必要があったのですが、これがなかなか書けない。(そもそも期限1週間しかないものを打診するの歯おかしい)担当になって2ヶ月しか経っていませんから、どういう目的で、その目的を達成するためにどういうモノを開発するのかという、絵を描くことができませんでした。休日返上でずっと考えていましたが、全く筆が進みませんでした。休日明けの出勤日の朝、上司へ申請書類が書けないと泣きついたのを覚えています。上司に手伝ってもらったお陰で何とか仕上がり、締切に間に合いました。
プライベートでは、社員寮から新居へ引越しをする予定だったのですが、この話のおかげで引越しをキャンセルする羽目になりました。確か引越しの契約書に押印をした次の日に、この異動話が上がったように記憶しています。契約書にサインをしたあと、即解約手続きをするというイレギュラーなことをしたため、仲介業者に嫌な顔をされたことを記憶しています。引越しの荷造りなどもほぼ完了していましたし、引越し業者の手続き、電気ガス水道の開栓などの手続きの段取りも終わっている状態でした。この全てをキャンセルする必要がありましたので、かなりプライベートの方でも追い詰められていたなと思います。もちろん、そのまま引越しをして少しの期間だけ新居に住むという選択肢もありました。しかし、上記の申請書類を準備を絶対に完了させることを考慮すると、引越しと並行して進めるのは無理だなと判断し、新居への引越しを諦めました。1日も住むことはなかったのですが、契約上、新居の初期費用や家賃2ヶ月分など全て支払いました。今振り返ると、会社に費用請求するべき事案のように思いますが、その当時はいっぱいいっぱいで、お金よりも時間が惜しいという感じでしたので、会社に請求することはありませんでした。
この期間、仕事にプライベートにかなり忙しい時期でしたので、焦燥感が非常に強くありました。食欲が全くわかず、上手く睡眠が取れませんでした。短期的にですが、うつ状態に落ちていたと思います。
↓この写真は入居日当日鍵の現地受け取りをしたときの写真です。友人に撮ってもらいました。8畳くらいの日当たりのいい部屋だったのですが、1日も住むことはできませんでした。
-22年x+2月 常駐先の開発環境を使用できないことが判明
何とか申請締切を提出し終わり、引越しもキャンセルし、ホッとできたのも束の間でした。常駐先へ訪問する機会があり、現場を視察しました。その際、先方の担当者より「本開発環境は御社に使用頂くことはできません」と一言。何じゃそりゃ。どうも別案件の秘密情報や契約の関係で、我々はその開発環境を使用できないとのこと。「その代わり、空室を用意したので、そこで環境を作ってください」と言い渡されました。私としては、常駐先のリソースをフル活用して仕事ができると思いこの話を受けたつもりでした。しかし、そうではなく、完全にゼロの状態から環境を作る必要があるということが分かりました。正直この段階で「リソースが使えないのであれば、私が先方で常駐する意味ないんじゃない?」と思いました。会社から常駐するのは私1人だけでしたので、自分1人で開発環境を完成仕終わらないと開発のスタートラインにも立てないことを実感し、心が非常にザワザワしたのを覚えています。(1人でやり切るという発想自体が間違いなのですが、、、)
焦燥感について
ここで話がそれますが、
私が上記まで、あるいはこれから別記事で記載する、「焦燥感」や「ざわざわする」といった感覚について書きたいと思います。焦るという感情に、感じ方や程度の違いは人それぞれあると思るので、イメージしを共有しやすいように、どんな感じの焦るなのか具体例を示したいと思います。
あなたは、親しくしている人とアルコールを飲みながら会話を楽しんだ後、気持ちよくほろ酔い気分で帰宅しました。帰宅した後、あなたは持ち歩いていた社給スマホがないことに気づきました。店におき忘れたか、落としてしまったようです。
その時おそらく多くの人は、酔いが一気に覚めどこにスマホを置いたか必死に探す行動に出ると思います。その一気に冷めて“焦る“感覚が、私の感じていた「焦燥感」に近いです。(最近同様の出来事で、財布を落としてめちゃくちゃ焦りました(無事見つかりました。))。この具体例の“焦る“は、かなり強度の高い“焦る“感覚なのかなと思います。ただ、私が仕事の中で感じていた「焦燥感」はそのくらい強度の高いものでした。(もしかしたら、その程度の出来事では焦ったりしないという人もいると思いますが、、、)
続きは別の記事で書こうと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
休職中の振り返り(9月ー11月)
こんにちは、bunchinnです。
現在、僕はうつ状態の診断で会社を休職をしています。自分の状態を確認するために、日記をつけています。記録を始めた9月から今月11月までの記録を振り返ってみようと思います。
記録している内容は下記になります。また、iPhoneに標準搭載されているNumbersを使って作成しており、写真みたいな感じです。
- 1日のスケジュール
- 朝昼晩のご飯内容
- 運動したかどうか
- 薬飲んだかどうか
- その日の気分(10段階)
- 一言日記
点数付けしていて定量化しやすいので、「その日の気分(10段階)」の項目に注目して振り返ります。この項目は、0:最低 2.5:普通 5.0:最高 の0.5点刻みで1日の気分の点数を付けています。
この3ヶ月の点数をグラフ化してみました。iphoneで無料で使えるNumbersを使用して作成しています。(めちゃくちゃ使いにくい、、、!)
若干最近の方が点数が高そう?
1ヶ月毎に気分の点数を平均化し横並べしてみました。
1ヶ月約0.5点ずつ上がっているのがわかります。また標準偏差から、点数のばらつきが概ね1点以内であることからも順調に心の状態が良くなっていることがわかります。1日毎に振り返るとそんなに状態が変わっていないように思いますが、こんな感じで長期間で振り返ってみると回復しているんだなと実感しています。もちろん体調の浮き沈みがありまだ安定したとは言い難い所ですが、少しずつだけど着実に良い方向へいっているんだなと思います。
(自分の状態を点数化して可視化したのは初めてですが、面白いですね、、、)
カウンセラーさんからは、復職可能な心の状態は約4点以上が目安と指導されています。平日仕事をすることで、ストレスがかかり心の状態が悪化しますが(3点程度)、休日二日間かけてリフレッシュし心の状態を回復させる(4点以上)というサイクルを作るのが理想のようです。
12月は平均点3.5点行けばいいな〜と思います。自分の好きなことをして心のエネルギーを回復させていきたいです。
各月毎の日記の内容を振り返ろうと思いましたが、筆が進まないのでまた今度気が乗ったら書こうかなと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
youtubeで僕のことが紹介されていた
こんにちは、bunchinnです。
自分で自分を見つめ直すため、うつになった経緯や思っている事を文章化しています。
タイトルにある通り、Youtubeで僕のことが紹介されていました。(僕自身のことを紹介されているわけではありません。大袈裟に書きました、すみません。)
YouTubeでたまたまこの動画がオススメに表示されました。
【自立しすぎている人】。こういう〜〜〜な人というな人をタイプ分けする論調はあまり好きでは無いです。というのも、当たり障りがなく誰にでも当てはまるような事を言って無理やりそのタイプに落とし込むことが多いように感じるからです。具体例では、血液型占い、星座占いに代表される占いが思い付きます。占いは遊びとして楽しむくらいがちょうど良いですね。
ただ、このサムネ見た時に、【自立しすぎている人】かあ、僕やん、となりました。人の特性に深掘ったタイトルでしかも僕によく当てはまっている。これは見なければと思い視聴しました。
この動画では、自立しすぎている人の特徴と良い点悪い点を紹介していました。特に印象に残ったところを記載します。
- 人に頼らない、任せられない
- 何でも1人でやる、1人でやらなきゃと思う
- 甘えてはいけないと思っている
- 助けて が言えない
- 競争心が強い
- 頑張りすぎてむしゃくしゃしたり疲れきる
めっちゃ僕のことやん(驚)素直にそう思いました。動画内で「あなたはすごく頑張ってきています。でも、「そんな事ないです」とその褒め言葉を拒絶しますよね?」というところがありました。心の中見られてるんかとゾワっとしました。
この動画のように自分の特性がまとめられたものを見た事がなく、目から鱗でした。こう見ると、うつになり易い性質だなあと思いました。
1人で抱え込みやすい気質のため、仲間に助けを求められず、やっと助けを求めた時には限界を超えているというな状況になっていて、、、そうやって、いつの間にかうつになっていました(泣)。この動画は、自分の特性を客観視できる貴重な動画です。うつを良くするためには、自分の特性を柔軟に変化させる必要があるとおもっています。「自立しすぎる(≒孤立する)」のではなく、程よく人の助けを借り、人との関わりの中で自分の価値を高める「程よい自立」を目指したいです。
うつと無縁の人生と思っていた(part.1)
こんにちは、bunchinnです。
現在私はうつ状態の診断によりしばらく休職をしています。自分で自分を見つめ直すために、発症に至った経緯や考えなどを記録していきたいと思います。今回は、「うつは甘えでは無い」という事についての考えを書いていきます。
僕はうつと無縁の人生と思っていました。僕は、明るく社交性が高く、困難な課題を乗り越える馬力と根性を兼ね備えていました。同僚からは次代のエースと期待され、自信に満ち溢れていました(すごい自己評価が高いですが、病期になる前は本当にそんな事を思っています。)。そんな私は発病する前は、うつは気の持ちようでなる病と思っており、「うつは甘え」という考えを持っていました。
しかし、いざ自分がうつになると、今までに出来ていた簡単な事が出来なくなりました。症状がピークの時は、メールを読んで意味を理解する事が出来なくなりました。また、会議に出席しても取引相手の言っている事が理解できず何度も聞き返す&自分の意見が纏まらず発言に詰まる(この時は上司に助けてもらいましたが)ようになりました。勿論この段階に来ていた時、身体にも異常が起きていました。夜12時に寝て2-3時に起きる中途覚醒があり、起きた後は眠る事が出来ませんでした。また、食用不振があり、酷い時には一日一食うどんしか食べる事が出来ない状態で、体重は2ヶ月で凡そ7kgくらい減少していました。この様に、行動面・身体面で明らかな異常が起きていました。愚かな事ですが、自分がうつになってやっと「うつは甘えでは無く、病気である」ということを身をもって理解しました。
一般的に、「うつは心の病気」と捉えられています。その認識のため、気の持ちようで何とかなる、うつになる人は頑張らないで甘えている風に考えられてしまうのかと思います。そもそも心は脳が作り出すものですので、「うつは脳の病気」と捉えるべきと思います(医学的には脳の病気として治療されます、、、)。気の持ちようだけで何とかならない病気です。
心という視覚化できず、また物質的で無いものが病気になるという認識が広まっているが故、うつは甘えであると思われているのでは無いかと思います。うつは、脳という物質として存在する身体の一部分に異常が起きています。そういう事実をきちんと知れば、治療が必要な病気として比較的すんなりと納得できるのでは無いのかと思います。(例えば、がんの場合、外科手術で病巣を取り除く、抗がん剤を用いた投薬治療などを行います。それと同じように、うつの場合、精神療法、薬物療法、カウンセリング等を行い脳を治療するというように。)
これまでの人生「うつは甘え」であると認識していました。そのため、自分がうつになった事が許せませんでした。ただ、医者やカウンセラーとの会話や、本を読んだりして知識をつける事で、治療が必要な病気とやっと認識できたように思います。うつを発病して約半年かかってやっと、この認識に至り80%程度ですが受け入れる事が出来たように思います。うつを受け入れる事が出来ていなかったため、治療が遅れてしまっていると感じています。主治医からは「休養と自分の好きな事をして過ごして下さい」と指示がありますが、仕事につながる勉強をしたりとか仕事の事を考えて焦ったりなど全然気が休まっていなかったように思います。最近になってやっと自分の好きな事を好きなようにやれているかなと思います。
自分を許せるようになった時に初めて、うつが治るだろうと思っています。今は、うつを受け入れる事が出来つつありますが、まだまだ自分を許せそうにありません。長い旅になりそうです。
裏があるいけず京都人をモチーフにしたおもろ過ぎるステッカー
こんにちは、bunchinnです。
面白い京都お土産が販売されたと話題になっています。
「裏がある京都人のいけずステッカー」という商品です。ステッカー表側は、相手を気遣うような言葉(建前ですね)が書いてあります。しかし、裏面を見ると、その言葉の裏に隠れた本音が書かれているというものになります。みんなが想像する京都人の意地悪なイメージ(めちゃくちゃ失礼ですね。。。)をお土産に落とし込んでいるのがめっちゃおもろいと思って、直ぐに買いに行きました!笑
1枚880円でトイレ用のステッカーを購入しました。書いてある事めちゃくちゃおもろいですね笑。友人が私の家に来た時、「立ってトイレしないでね」といちいちお願いするの正直憚れていたので、このステッカーをゲットできてちょうど良かったです笑。これを見たら流石に立ってトイレはしないでしょう。
こういうユーモアのある商品は好きです。購入できて非常に満足です!